国内初の臨界事故東海村JOC臨界事故とは

国内初の臨界事故である東海村JCO臨界事故が起こったのは、今から約18年前の1999年9月30日。

 

茨城県那珂郡にある東海村。日本原子力研究開発機構を始めに数多くの原子力関連の施設が立ち並ぶ村です。この村にあった核燃料開発会社JCOの核燃料加工施設にて事故は起こりました。

 

この燃料加工施設ではウランを加工して、高速増殖炉で使う高濃縮ウランを作る作業を行っていました。しかし、その作業工程は大きくずさんなものだったのです。ウラン化合物を溶かす作業について書かれたマニュアルを守らず、ステンレス製のバケツにウランを溶かした液を入れて持ち運ぶなど独自のいいかげんなやり方がまかり通っていました。

 

事故が起こったのは溶かしたウランを均質化するために沈殿槽に入れた時でした。沈殿槽の中で核分裂が連鎖して続く臨界状態になってしまったのです。これは作業場に核原子炉がいきなり現れたのと同じようなものです。しかも、放射線や放射性物質が出ないようなしくみのないままに。

 

当然、そこで作業していた人は大きく被爆しました。致死量に近い放射線を浴びた三人の作業員が入院し、そのうち二人が後日、被爆による多臓器不全により亡くなっています。

 

初めての臨界事故だったからなのかJCOの対応は遅く、東海村に連絡が行われたのは事故が起こってから一時間後のことでした。そして、県や国にも連絡が行き、近隣住民の避難や立ち入り禁止区域の設定、付近の道路などの通行止めなどが行われました

 

臨界状態が止まったのは事故の翌日。JCOが社内から集めた有志による決死の活動により、臨界活動の休止、収束を迎えることができました。
事故が起こってから20時間近く経ってからことです。

 

この事故では作業員のみならず、救急隊員や連絡をうけて訪れた政府職員、施設周辺に住んでいた住人にまで被爆の被害がおよびました。その数はなんと600人を超しています。

 

この事故が終わってからしばらく、東海村で作られた野菜が消費者から避けられるなどの風評被害が続きました。この東海村JCO臨界事故は核事故が起こった時の被害の甚大さを私たちに示した事故だったといえるのではないでしょうか。